澄心(ちょうしん)
こころが洗われて快心を得れば、
いつも我がこころは鏡のように澄み切ります。
徳積みに努め、清浄(きよらか)なこころを得れば、こころは澄みます。
澄んだ静かな水には、月の影がきれいに映るように、
「澄心」ならば、何事もありのままに正しく映り、少しも誤るところがない。
信仰のつまるところは、
「洗心」「快心」「澄心」をともに得るところにあります。
この3つは別々のものではなく、それぞれ深い繋がりがある。
これを「実相を観る」といいます。
実相を観るとは、表面的な現象にとらわれず、
こころの眼でしっかりと真実を観ることをいいます。
そこまで、私たちは努め、励みたいものです。