信心が楽のもと
仏様に手を合わすのは恥ずかしい、格好が悪い。
信心など、お年寄りがするもの……
そう思っている人はいないでしょうか。
そんな人に限っていつも言うのです。
「もっと楽になり、暇ができたら信心をさせてもらう」と。
それはとんでもない誤りで、逆さまです。
信心は楽になってからするものではない、信心するから楽になる。
楽がはじまりではなく、信心が元なのです。
少しでも楽になりたい、もっと楽になりたい、
安心のできる暮らしをしたいと、願わない人はいないでしょう。
ところが、何をやっても楽になれないのは、
もともと的が外れているから、道を間違えているからです。
楽になって信心するのではなく、
信心するから楽になれることが、これでわかるはずです。