和尚と考える終活10:「遺産」はクセモノ(後編)
前回、遺言書ではだめ、というお話をしましたよね。今日はそのわけを綴っていきますね。
仮にあなたが公証人役場へ行って、正式な遺言書を書いたとしましょう。あなたに2人の息子さんがいたとして、長男は田舎から上京して会社の責任あるポストを任され、自宅も購入し、実家から離れたところで生活しています。
一方次男は実家近くにマンションを購入して、こちらも立派に生計を立てております。あなたは「負うた子も抱いた子もかわいい」という観点からいわゆる法定相続、長男、次男等分の財産分与をよしとして、その旨を遺言書にしたためておきました。
さあ、一定の時間がたち遺言書を公開する時が来ました。内容には「等分」が書かれています。一般的には何ら問題ないような感じなのですが、実はこれをさかのぼること3年間の時の流れが黙ってはいなかったんです。
3年前くらいから、あなた自身は老化による体調の衰えが始まりました。配偶者はもういません。そんな中、かいがいしく世話をしてくれたのは次男の嫁であったわけです。長男夫婦は上京し、盆正月に帰ってくるのが関の山、一方近くにいる次男夫婦は毎日のようにあなたのお世話にあたっていました。当たり前のことではありますが、ただ人間は感情の動物ですから、理性では納得できない部分が頭を上げてくるんです。
「お兄さんたちは年に数回しか来なかった。私たちは毎日お世話に行っていた。なのに等分、おかしくない?」と次男が言わなくても、後ろから次男の嫁が言い出すんです。結果、財産分与に関わる裁判が始まるんです。
家族が大切なら、財産は残さない方がよいのかもしれませんね。