和尚と考える終活76:お墓【6】~終の棲家(ついのすみか)
「終の棲家」私たちの遺骨が収まる場所をこのように言い換えて使いますが、何をもって「終の棲家」と言えるのでしょうかね。
その昔、といってもたかが100年ほど前のことですが、日本は「土葬」が中心でした。集落で死者が出ると、近所の人たちが総出で葬送を執行します。今はいわゆる「寝棺」ですが、昔は「座棺」でした。それを担いで墓地へ行って埋葬するというものですね。古い墓地は里から離れた山やそのふもとにありますが、あれは娑婆とあの世との隔たりや、あるいはその村を見守ってもらいたいという、残る人々の願いが込められていたからなんです。
でも「土葬」ですから、長い年月とともに「土にかえる」ということになります。我々の肉体は大自然の力によって生み出され、大自然にまた還ってゆく。これが日本人の持つ文化であったわけです。なので、「終の棲家」だったんです。
しかし今は? 墓も地域によりますが、骨壺のまま墓石の下に「安置」する場合もありますし、納骨堂に至っては、いわゆる「合葬墓」(複数の方の御遺骨を一か所にまとめて埋葬する)でない限り、やはり「安置」の形となるわけです。しかし、納骨堂という建物も「老朽化」が到来します。その時その場所から一時移動しなくてはならないとすると、これは「終の棲家」とは言い切れないのではないかと思うのです。
現代人にとって「終の棲家」としての遺骨の行き場は、無くなってきているのかもしれませんね。「じゃあお骨はどうしたら?」となりますね。さあ本気で考えてまいりましょう。