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和尚と考える終活

和尚と考える終活67:高齢社会の生き方【6】〜家族か他人か?

和尚と考える終活67:高齢社会の生き方【6】〜家族か他人か?

「家族」に目を向けていただけましたか?えっ、目をむいちゃいけませんよ。優しいまなざしで目を向けるんですからね。ここでちょっと質問をしますね。あなたは年をとりますか?当然「ハイ」ですね。

あなたは明日、生きている保証を持ってますか?「いいえ」でしょう。なんかこんな話、以前にもあった気がしますよね。そうです、初めのころお伝えした、終活の原点です。私たちは必ず老いてゆきます。そしていつの日にか(今日かもしれませんが)生涯を閉じるときがやってきます。生涯を閉じた瞬間、自分自身では一切のことができなくなってしまうのです。すべて「あなた任せ」になるのです。この「あなた」こそ「家族」なんです。

あなたが寝たきりになったとしましょう。下のお世話をどなたかにしてもらわねばならなくなります。そのどなたかが、家族であることがいいのか、全くの他人がいいのか。究極はそこにあると思うのです。

私がこのように極論を並べても、現代社会の構造は、この理想を許してはくれません、きっと。でも「どうありたいのか」を真剣に考えていったとき、「家族」という存在こそが、生涯においてかけがえのない相手であることに気づけるのではないでしょうか。世の中には、超高齢社会に対応する仕組みがあります。いえ、その仕組みは今日も次々と作られつつあります。しかし、世の中の仕組みだけでは、実は補いきれなくなるのです。

人の死と宗教は大きくかかわっています。このかかわりを持たせているのが「家族」であると私は思ってます。宗教を土台とした「死生観」が、人と人のつながりを強くしてゆきます。近年コロナ禍によって、なお一層脅かされつつあるこのかかわりを、ちゃんと見直さねば劣化はスピードアップしてしまうかもしれませんね。

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情報

タイトル和尚と考える終活67:高齢社会の生き方【6】〜家族か他人か?
投稿日2022.10.28
著者 良活和尚
テーマ
アイキャッチ和尚と考える終活67:高齢社会の生き方【6】〜家族か他人か?