和尚と考える終活94:宗教と終活【2】~愛と安心
終活と宗教は切っても切れない関係にあります。「和尚、そんなことないでしょ、別に終活するのに宗教なんて関係ないじゃない」とおっしゃられそうですが、それは違います。
いつも書いておりますが、なんで終活なんてするの?「子どもたちに負担をかけたくない」とか「晩年くらいゆったり安心した生活を送りたい」からでしょ。それ、もうガチガチに「宗教」ですよ。分からない?いや今日初めてこのコラムを読んだ人なら分からないでもしょうがないかな。でも、しょっちゅう私のコラムに付き合っている人は分かりますでしょ。分からない?大丈夫?それこそ検査が必要では?おっと失礼。
では申し上げますよ。「子どもたちに負担をかけたくない」この考え方の元は何ですか?「愛」でしょ。何十年も前に産んで、子育てして、最近はあんまり親を頼りとしない、その子どもに負担をかけたくない。「愛」以外の何ものでもないですよね。「愛」を説くのが宗教です。終活で皆さんが行おうとすることは、すべて「愛」であり、その考え方自体がすでに「宗教」なんです。また「ゆったり安心した生活」この「安心」を得る方法は「宗教」しかないのです。お若い方は「宗教」というと抹香臭い、杓子定規の型枠みたいに感じるかもしれませんが、本当の「安心」を得るには、宗教的思考が不可欠なのであります。
子や孫を愛する思いの発露として「終活」があります。思い方、考え方、そして生き方。これこそが「宗教」によって培われるものであり、宗教を得ることにより、人生というキャンバスに素晴らしい風景を描くことができるのだと、私は思います。
「毎日が終活」ですよね。ならば少しでも若いうちに、心から信じられる宗教を得ることが大切ではないでしょうか。私が言うと我田引水かもしれませんが、ぜひ、正しい宗教を得て、愛と安心に満ちた人生を全うしてください。