和尚と考える終活71:お墓【1】~「墓」と「家」
令和4年10月、札幌市にある納骨堂が突如閉鎖となり、700基以上の御遺骨が路頭に迷うという事象が発生しました。終活の取り組みとして、「供養」というカテゴリーの中にある「遺骨の扱い」について少し考えてまいりたく思います。終活の取り組みの中で最も重く、ハードルの高いものが、この「遺骨」に関するものであろうと和尚は感じております。結論に至らないことになるかもしれませんが、お付き合いください。
ところで、あなたの家には「お墓」がありますか?「実家の墓はあるけど、うちの墓はない」「うちの墓はないけど、兄貴が管理している墓に入れるだろうから、あるといえばあるのかな?」まあ、いろんな答えが返ってきそうですね。
さあ、まず「墓」を考えるうえで、私たち日本人の感覚を確認せねばなりません。それは「墓」は「家」と深く結びついているという暗黙の認識であります。墓地へ行きますと、「○○家之墓」「○○家先祖代々」「○○家奥城(おくつき)」(神道の方の墓)などと石碑に刻まれたものが多くあるのではないでしょうか。お彼岸やお盆になりますと、「家族」を基本とした人たちが、花や供物を手にもってお参りに行く。日本の原風景かもしれませんね。そして「○○家のご先祖様、おじいちゃん、おばあちゃん」と墓石に向かって語り掛けるという特殊能力を発揮するわけです。
日本人にとって、先祖との関連性を確認する場所、それが「墓」であり、かつまたそれらは「家・家族」を母体として連綿と受け継がれてきているという事実が、ここにみえるのであります。
今、「墓」と「家族」、この形が維持できない社会が見え隠れしてきております。次回までに自分の周囲を確認してみてください。